TED x Tokyo - Naohiko Umewaka
https://m.youtube.com/watch?v=PoC2N2C4K84
TED x Tokyo - Naohiko Umekawa
〈和訳〉
(英語の音声を聞いて和訳をつけさせていただきました)
*〔 〕の中の記述は、梅若様のお言葉でなく、舞台上での動作となります。
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こんばんは。
パトリックさん、ご紹介くださり、ありがとうございます。
実は、プレゼンテーションの時にお面を被ることに家族が反対しました。
顔が見えなくなるという理由からです。
だからお面を被らないことに決めました。
〔 お面をかぶっていらっしゃいます 笑 〕
0:45
自己紹介させてください。
パトリックさんが既に紹介してくださいましたが、覚えていただくために、もう一度自己紹介したいと思います。
Umewaka Naohiko ( 梅若 猶彦 ) と 申します。
ナオヒコ、「コ」で終わる名前、「ミツコ」、「ヨウコ」「サトコ」は日本では女性を表すことが多く、「ナオヒコ」も時々、日本人でない方からは、女性の名前、女性と思われることがあります。
「どうしようもないですよね」
「父のせいです。。でも、しょうがないです。」
1:35
ともかく、私は3歳の時から、半世紀以上もの間、能を演じてきました。
不思議なことに、能 ( の形式というもの ) が、私の日常生活を脅かし始めたのです。
フィクションとノンフィクションの区別がつかなくなってしまったのです。
ひょっとしたら、フィクションとノンフィクションの両方が私を脅かし始め、私はその両方となってきたのかもしれません。または、どちらでもなくなったのかもしれません。
2:28
能楽では、フィクションの人物と、ノンフィクションの人物との両方が登場し、演目の中ではその両方がうまく織り混ざっていきます。
そして、時折、入れ子構造( bird nest structure/ 鳥の巣構造)という形式で、箱の中の箱、またその箱の中の箱、さらにその箱の中の箱というように、多重構造となっていきます。
どちらも時間と空間の中で存在します。
どちらも入れ子構造の中で存在するのです。
3:16
このように私はこの50年間、この入れ子構造の中に閉じ込められてきました。
そして、私自身が、すべてのことの間 ( 狭間 ) に存在するように感じ始めました。
「男性と女性」「生と死」「フィクションとノンフィクション」「人類と動物」など。。
もしかしたら、私が境界線そのものとなったのかもしれません。
3:54
それでも、私が近づくことさえできない境界線というものがあります。
それは「神と人」その境界線です。
でも、それは結果的に悪いことではありません。
( というのは、 ) 抽象画を例にとってみると、抽象画というものは難しいものですよね。
抽象画。。私はそのような抽象画が大好きです。
難しいのですが、境界線を見ようとすれば易しいのです。秘密は、絵の具とキャンバスにあります。キャンバスと絵の具、それもまた境界線であります。
〔 4:35 お面をつけたまま、水を飲もうとされますが、飲めません 笑 〕
4:45
能の詳細について語るつもりはありません。
今夜帰宅された時に、何か能のイメージだけ残りますと幸いです。
とても曖昧なもので結構です。
能面を使用したパフォーマンスであること、
(ところで、私はお面を被っていませんよ)
絹でできた衣装を纏い、能面を被ったお芝居、そのようなイメージで結構です。
5:17
能のテーマも多岐にわたります。
例えば、「幽霊」「天女」「天使」「狂女」「武士」そして「一般の男女」などです。
能は、600年前、 14 世紀に世阿弥元清によって、すばらしい形で創設されました。
彼は天才でした。彼は哲学的な伝書を書きました。現在27の秘伝の書が見つかっております。それらは、理論的な、演劇論的なものも含む、素晴らしい理論の書です。
6:09
あ、おそらく時間もないので、実演に移りたいと思います。
「恋重荷」という演目の謡いから始めたいと思います。
文字通り訳すと「 burden of love / 恋の重荷」です。世阿弥のテーマとするものは、時折、庶民レベルのものとなり、テーマが面白いのです。実は、この演目は一番難しい演目のひとつです。
貧しい老人、掃除夫が天皇の妃に恋してしまうのです。結果はわかりますよね。いじめられ、死に追いやられます。彼は幽霊となって戻ってきます。とても悲しい話です。彼は貧しい老人で、恋する権利はあるはずだ。。と私は思うのです。
この謡いで始め、その後、「安宅(あたか)」という武士の舞に移っていきたいと思います。 最初に「恋重荷」、次に武士の舞「安宅」です。
〔 演目へ。〕
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